山梨県の御朱印

山梨縣護國神社

山梨縣護國神社

山梨県甲府市岩窪町608

山梨縣護國神社(やまなしけんごこくじんじゃ)は、山梨県甲府市にある神社(護国神社)である。

西南戦争以来の山梨県関係の戦没軍人・軍属の戦死者25039柱を祀る。

明治12年(1879年)、招魂社として市内太田町に建立されたのに始まる。昭和17年(1942年)に現在地に遷座し、昭和19年(1944年)、山梨縣護國神社に改称した。戦後の一時期、山梨宮に改称していた。現在「山梨宮」は、山梨県出身の殉職自衛官などを祀る摂社の名前になっている。

現鎮座地である岩窪は甲府藩主柳沢氏の菩提寺である黄檗宗寺院永慶寺の所在地で、永慶寺は享保9年の甲斐国一円が幕府直轄領化された際に大和郡山に移転された。また、山梨県内有数の桜の名所としても知られている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%B8%A3%E8%AD%B7%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE



山梨県護国神社

山梨県護国
武田神社から歩いて向かう。

山梨県護国 (2)

山梨県護国 (3)

山梨県護国 (4)

山梨県護国 (8)

ねこ
ここの神社、入り口にネコが多い。

さつま揚げ
帰るのがめんどくさくなって、甲府に一泊。居酒屋で飲む。

サムス・核に

鳥もつ煮
B級グルメ鳥もつ煮。レバーの味がする。
甲府の夜は寒い。盆地だからか。

武田神社

武田神社

山梨県甲府市古府中町2611

武田神社(たけだじんじゃ)は、山梨県甲府市古府中町にある神社。躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄を祭神とする。旧社格は県社。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE



武田神社

信玄
甲府駅南口の信玄公。

武田神社

武田神社 (3)

武田神社 (4)

武田神社 (6)
七五三、どこもかしこも七五三。

浅間神社

浅間神社

山梨県笛吹市一宮町一宮1684

浅間神社(あさまじんじゃ)は、山梨県笛吹市一宮町一宮にある神社。式内社(名神大社)論社、甲斐国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

全国にある浅間神社の一社。甲斐国一宮であることから「一宮浅間神社」と通称され、「一宮さん」とも呼ばれている。

歴史
社伝では垂仁天皇8年正月に神山の麓(現 摂社山宮神社)で創建され、貞観7年(865年)旧暦12月9日現在地に遷座したという。一帯は古代甲斐国の中心地で、付近には甲斐国分寺跡・甲斐国分尼寺跡が残っている。

『延喜式神名帳』で名神大社に列格する「甲斐国八代郡 浅間神社」の論社の一社である。また、平安時代末期より甲斐国一宮とされたとしている。ただし、当社の鎮座地は旧山梨郡であることや、他に甲斐国一宮を称する神社もあることから、名神大社および甲斐国一宮は当社ではないとする説もある。『日本三代実録』によれば、貞観6年(864年)の富士山の大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、翌貞観7年(865年)12月9日(旧暦)に甲斐国八代郡に浅間神社を建てて官社としたとある。その後、山梨郡にも同様に浅間神社を建てたとも記す。このことから、当社は「後に山梨郡に建てられた浅間神社」であるとする説が有力であるが、創建時は当地が八代郡内で「最初に八代郡に建てられた浅間神社」である可能性もある(詳細は「浅間神社#甲斐国」を参照)。摂社・山宮は元は神山を祭祀する神社であったと見て、甲府盆地の開発が進むとともに里宮に移り、のち浅間神(木花開耶姫命)の神格が与えられたとする考えもある[1]。

当社は武田氏からの崇敬が篤く、関係文書も多く伝わっている。その頃以降、当社を一宮とする史料や当地にあった「一宮庄」の記載のある文書も見られ[2]、一般に甲斐一宮として崇敬された。江戸時代に入ってからも江戸幕府から所領を安堵されるなど保護された。

1871年(明治4年)旧暦5月14日に近代社格制度において国幣中社に列し、戦後は別表神社となった。

神道では神に日本酒を「御神酒(おみき)」として奉納するが、一宮浅間神社では戦後の1965年(昭和40年)から山梨県で産出されたワインを御神酒として奉納することが行われている[3]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%AC%9B%E5%90%B9%E5%B8%82)



一宮浅間神社

浅間神社

浅間神社 (7)

浅間神社 (4)

浅間神社 (6)

ここはちょっと駅から遠いですね。車で来るのが吉。

酒折宮

酒折宮

山梨県甲府市酒折3丁目1−13

酒折宮(さかおりみや・さかおりのみや)は、山梨県甲府市酒折にある神社。旧社格は村社。

歴史
記紀の酒折宮伝承
ウィキソースに古事記/中卷の原文があります。
行宮伝承
『古事記』・『日本書紀』(以下「記紀」)には、ヤマトタケルの東征伝承が記されている。ヤマトタケルの東征は『古事記』では尾張から相模・上総を経て蝦夷に至り、帰路は相模の足柄峠から甲斐国酒折宮へ立ち寄り、信濃倉野之坂を経て尾張へ至ったとしている[1]。一方、『日本書紀』では尾張から駿河・相模を経て上総から陸奥・蝦夷に至り、帰路は日高見国から常陸を経て甲斐酒折宮を経由し、武蔵から上野碓日坂を経て信濃、尾張に至ったとしている[2]。

帰路、甲斐国(現 山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が当社に因むとされている。行在中に尊が塩海足尼を召して甲斐国造に任じて火打袋を授け、「行く末はここに鎮座しよう」と宣言したため、塩海足尼がその火打ち袋を神体とする社殿を造営して創祀したと伝える[3]。

記紀に記されるヤマトタケルの東征経路は、古代律令制下の官道においては往路が東海道、帰路が東山道にあたっている。また「倉野之坂」や「碓日坂」はいずれも令制国の国境に位置し、甲斐国は東海道と東山道の結節点に位置することから、酒折宮も「坂」に関係する祭祀を司っていた神社であると考えられている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E6%8A%98%E5%AE%AE



酒折宮
こちらの神社、連歌発祥の地だそうです。

酒折宮 (11)

酒折宮 (9)

酒折宮 (3)

酒折宮 (7)

酒折宮 (4)

山梨学院

この近辺、山梨学院の施設がいっぱいあります。山梨駅伝大学として著名ですね。

菅田天神社

菅田天神社

山梨県甲州市塩山上於曽1054

菅田天神社(かんだてんじんしゃ)は、山梨県甲州市塩山上於曽にある神社。祭神はスサノオノミコト、五男三女神、菅原道真。

県中東部、甲府盆地の北東縁に位置。塩山は恵林寺や向嶽寺などの古刹が集中し、武田氏の保護を受けた寺社も多い。

歴史
『甲斐国社記寺記』によれば、承和9年(842年)、甲斐国司の藤原伊太勢雄が勅命により少目飯高浜成に命じて創建される。寛弘元年(1004年)には相神に菅原道真を祭っており、これが「菅田天」の由来となっている。

古くから甲斐源氏の鎮守と位置づけられ、特に甲斐武田氏の篤い保護を受け、神主は府中八幡宮への参勤を免除された。甲府の鬼門にあたることから、武田信光のころ御旗(雲峰寺所蔵)とともに武田氏の家宝として相伝されていた楯無が安置された。鎧は於曽氏が管理していた。『甲斐国志』によれば、永禄4年(1561年)2月には武田信豊から、永禄7年(1564年)5月には板垣信安からそれぞれ社領寄進を受けている。『国志』によれば、武田氏滅亡に際しては楯無鎧が塩山向嶽寺の杉下に埋められ、後に徳川家康により再び当社に安置されたとする伝承を持つが、鎧の詳細調査では埋められた形跡は確認されていない。

天正11年(1583年)には徳川氏から社領安堵を受けて、慶長8年(1603年)には禁制を下されている(『社記』による)。慶長7年と正徳3年には社殿造営が行われる。宝物殿には「楯無」と比定される小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい国宝)を所蔵しており、これは現代に至るまで秘蔵であったが、江戸時代には幕命で甲州の古記録調査を行っていた青木昆陽が見聞し、『甲陽軍鑑』の流行もあり多くの参拝者が往来した。昭和40年(1965年)3月の火災で社殿を焼失するが、昭和44年(1969年)に復興。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E7%94%B0%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE



菅田天神社

菅田天神社 (9)

菅田天神社 (6)

菅田天神社 (7)

菅田天神社 (8)

菅田天神社 (5)

掃除をしていた総代の方に話を聞く。こちらの神社、かなりの歴史があるそうです。

宮司さんもお家にいらっしゃったので、御朱印をいただく。御年93歳。元帝国軍人だそうで、お元気でした。流石ですな。

平和園 (2)

平和園 (3)

こちら、塩山駅からの道中で立ち寄った平和園のチャーシュー麺。美味い。