岩手県の御朱印

白山神社(中尊寺)

白山神社(中尊寺)

岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関173

中尊寺白山神社
御朱印は授与所で書置きをいただきました。宮司さんがいらっしゃれば、朱印帳にいただけるのかもしれません。

白山神社 鳥居

白山神社

お寺に来ると、神社の御朱印をいただいてる人は大変だなあって思う。薬師堂とか、弁慶堂とか、五重塔とか、それぞれで御朱印がいただけたりするから、きりがない気がする。神社も摂社とかあるけど、めったにないし。

一関八幡神社

一関八幡神社 相殿 田村神社

岩手県一関市字釣山19

由緒
当神社は延暦年間(782~806)坂上田村麻呂が東夷平定の際館山(現釣山公園)に陣営を敷き、諏訪の大神(長野 諏訪大社)に勝利を祈願したのが紀元とされ、その後、康平四年(1061)源頼義、源義家が安倍貞任征伐【前九年の役】の折、田村麻呂と同じく館山に陣を敷いた際、合戦の祈願のため伊勢の神宮、京都の石清水八幡宮へ、中原大夫清房を奉幣使として使わせたところ両宮の大御神の御神託を賜り、この地域の八方に八幡宮を勧請した内のその第一社です。

天正二年(1574)相殿に八雲神社、文禄(1593)諏訪神社を再奉し寛文二年(1662)藩主伊達宗勝により現在の地へ遷座され以来現在の地に奉斎されています。
元禄七年(1694)初代田村藩主、田村建顕は一関に赴任した際、この地に坂上田村麻呂を慕う人々が多いことから伊勢へ伊藤惣助を代拝参宮へ使わした折、土山(滋賀県甲賀市)に鎮座する田村社の御分霊を田村神社として当社の相殿へ併せ祀り以来藩主田村氏の崇敬神社また一関(現市街地)の総鎮守としてお祀りされています。また現在千畳敷(釣山公園)へ鎮座している田村神社は、大正時代に田村家江戸屋敷邸内へ祀られていた御社を遷座したものです。明治四年郷社、明治八年村社、昭和五年再び郷社に列します。

昭和四六年十二月 社殿が全焼し貴重な文化財(田村建顕公、射的奉納弓矢、算額等)を焼失してしまいましたが、当時オイルショックの不況下の中、氏子崇敬者の篤い奉賛により昭和四八年現在の御社殿が再建されました。

以上一関八幡神社ホームページより。 http://tamura-hachiman.com/s/docs/yuisho.html



一関八幡神社

一関八幡鳥居

一関八幡

この後、居酒屋、カラオケと行って鬼の二日酔いになります。一関まで行って普段とやってることが変わらん。

日高神社

日高神社

岩手県奥州市水沢区字日高小路13

創建伝承
日高神社の創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる。この地の首魁であったアテルイが降服し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の創建となり、日高見国の信仰を継承する形で中央政府の神々を祀る胆沢鎮守府の神社にされてきたと推測されている。

平安時代以降
征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れたと伝えられており、伊沢氏(後の留守氏)を始めとする東北鎮護の国司、奥州藤原氏、伊達氏などから崇敬を受ける。

嘉応2年(1170年)には藤原秀衡が再造させている[1]。慶長年間(16世紀末)には伊達政宗が再興させ、社領の寄進と社殿の造営を行い、参拝の記録も残る。寛永9年(1632年)現社殿を初代水沢城主留守宗利(伊達宗利)が改築している。

近代
明治2年(1869年)胆沢県が置かれると、同4年には県の総社として郷社に列した(郷社の社格は昭和21年(1946年)の神社制度の改廃により消滅している)。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%AB%98%E7%A5%9E%E7%A4%BE



日高神社


日高神社

日高神社 (2)

日高神社 (3)

日高神社 (4)

水沢競馬場で有名な水沢市ですね。以前、東京競馬場で日本ダービーの日に水沢競馬を必死に観戦してるおっさんがいましたが、何を考えているんでしょうね。ダービー見ろよと。

駒形神社

駒形神社

岩手県奥州市水沢区中上野町1-83

上古の代、関東に毛野一族が台頭し、赤城山を崇敬し、赤城の神を祀って上野平野を支配したが、後に上毛野国と下毛野国に分れ、下毛野氏は日光火山に二荒山神社を創建。休火山を背景として奉祀されたもので、赤城火山の外輪山にも駒形山があり、二荒山神社の古縁起に『馬王』という言葉が散見する。

上毛野・下毛野氏は、勢力を北にのばし、行く先々に祖国に習い、休火山で外輪山を持つ形のいい山を捜し出し、連山の中で二番目の高峰を駒ケ岳又は駒形山と名付け、駒形大神を奉祀した。奥州にも及び、胆沢平野から雄姿を目にし、山頂に駒形大神を勧請し、駒ケ岳と命名した。これは、上毛野胆沢公によるものであり、時は雄略天皇の御代(456年ころ)であった。このように全国の秀峰に祀られた駒形神社の中で、延喜式神名帳にあるのは宮城県栗原郡駒形根神社と当社の二社のみである。当社が従四位下に神階を進めたのは、陸奥国胆沢城を創建した征夷大将軍坂上田村麻呂による崇敬の念の篤かったことから始まり、この鎮守府の度々の上奏によるものだった。

駒形という名称は、古く赤城神社をカラ社と呼んだ歌があり、コマをカラと歌った。当時の朝鮮は高麗朝時代であり、文化伝来の憧れの国でもあったのでコマということばを用い世間に誇示した。箱根山縁起の箱根神社が駒形神社を奉祀するのは、朝鮮から高麗大神を勧請したと記載しているのと同様である。このように赤城の神は駒形の神とも言える。坂上田村麻呂や源頼義・義家父子も駒形大神を篤く崇敬し、武運祈願成就した事実を知るにつけ、奥州に栄華を築いた藤原四代の崇敬も篤かった。

平泉より北上川を隔てて、東に望む束稲山は駒形山とも言う。このことは峻険な駒ケ岳を度々登拝することは困難を来たす事もあり、この山に駒形大神を奉祀したと考えられる。箱根縁起に藤原秀衡が銅をもって神像を鋳。駒形の神を祀ったことは藤原氏がいかに崇敬の誠を捧げたか想像することが出来る。かくして駒形神社の崇敬は華々しく、分社は東北各県より関東に亘り、その数、百余社に及んでいる。

以上駒形神社ホームページより。 http://komagata.iwate.jp/about/



駒形神社


s-駒形神社御朱印帳
こちらの神社にはオリジナル御朱印帳があります。

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