東北の御朱印

真山神社

真山神社

秋田県男鹿市北浦真山水喰沢97

真山神社

東京は豪雨。しかし我々はみちのく秋田へ向かう。土崎の居酒屋へ飲みに行くために…

磯丸水さん
とりあえず西新宿集合。磯丸水産で飲む。これから秋田で海鮮食べるんじゃない?という思いが一瞬頭をよぎるが、雨の中店を探すのもめんどくさいので刺身とか食べる。

夜行バス
これが我々が乗る千葉ミライ号。志田未来みたい。

秋田行きのバス混んでますね。狭い。辛い。5000円で行けるのはお安いが。

秋田駅

秋田駅着いたよ!駅前の駐車場広い!土地余ってるね!

市場

秋田美人(27)の案内で市場へ。朝ごはんを食べに行く。

やまだ (2)

朝食はやまだ。地元民御用達ぽい雰囲気ぷんぷん。

朝飯
塩サバ定食。美味し。

焼肉屋 (3)
日本酒を購入後、昼食へ。さっき朝飯食ったばっかりじゃないのか。焼き肉牛玄亭へ。

焼き肉
定食豪華!申し訳程度に健康ご飯(雑穀米?)を選択したが、焼け石に水やがな。


車で南下。道中のミュージックはLUNA SEA及び河村隆一。LUNA SEAかっこいいよね!リューイチの声ずっと聞いていると中毒性があるね!

道の駅象潟

象潟に到着。ぞうがたちゃうで、きさかた。

イワガキ

岩ガキ美味しそうやがな。

イワガキ (2)

迷わず食べるがな。何もつけずに食べると磯の味やがな。美味いがな。

アイス ジャージー
ソフトクリーム(ジャージー)美味いがな。食べすぎでんがな。

瀧 (2)
元滝と伏流水という名所に向かう。ここ去年行った鳥海山の近くやな。

セリ
おそらくセリ。セリは食べられるけど、ドクゼリは食べられません。実家にあった野生生物大図鑑に見分け方が載ってたはずだが忘れた。

瀧 (9)

瀧 (8)

到着!鳥海山の湧水がしみだしてるんだそうな。すごいね。

鳥海山

さよなら鳥海山。

土崎港 (2)

土崎
秋田ポートタワーセリオンから土崎港、土崎の町を見る。昔は安東氏の城があったし、北前船も来てたからにぎわってたんでしょうなあ。安東氏は信長の野望だと安東愛季がちょっと強いですね。愛季って名前可愛いですね。秋田美人(27)曰く、セリオンは地元のナンパ待ちスポットだそうな。流石詳しいですな。

わいったげ
今回の旅の目的地、先輩がやっている居酒屋へ。先輩を勝手に激写。

waittage.jpg
日本酒種類豊富で美味い。料理も美味い。飲みすぎでんがな。

なまはげ (5)
翌日、二日酔いもなく快適になまはげ鑑賞。

なまはげ伝承館の隣の神社へ参拝。

真山神社
古事記・日本書紀に記される12代、景行天皇の御世に、武内宿禰(たけのうちのすくね)が北陸北方地方視察のあと男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰、湧出山に登ったそうです。そのときに、武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するために、この地に瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりだと言われています。

真山神社 (2)
平安時代以降、仏教が日本全国に広まりはじめ男鹿半島にもその波が及んだ貞観時代(859年~877年)には、円仁慈覚大師によって湧出山は二分され、北を真山、南を本山と称するようになったと伝えられています。それ以降修験の信仰が高まり、天台宗僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合されました。
南北朝時代には、真山の別当が置かれた光飯寺(こうぼうじ)は天台宗から真言宗に転じ、東北地方における時の支配者も阿部氏→清原氏→藤原氏と移り変わる中、その庇護の下で修験の霊場として一山繁栄を誇ったようです。

真山神社 (6)
江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹藩ゆかりの祈願所として数々の寄進崇敬を受けました。それにより、幾多の堂塔伽藍が営まれるようになったそうです。
明治維新以後は、神仏分離令が発せられたことで元の神域に復し、名称も赤神神社から真山神社と改められました。それと同時に、秋田県の県社に列格されることになりました。
真山神社の本殿は、真山(567m)山頂に鎮座しており、国家安泰、五穀豊穣、海上安全の守護神として崇敬されています。平成19年に改築した重層(2階建て)建築で展望も兼ねており、その眺望は感嘆に値します。

真山神社 (3)

真山神社 (5)

真山神社 (4)
社務所の巫女さんかわいい。結婚してくれ!

男鹿 (2)
その後、男鹿プリンスホテル(心霊スポット)等を華麗にスルーし、男鹿半島の先っぽへ。

男鹿
北緯四十度。でも夏は暑いよ。

つぶがい串
ツブ貝串食べる。美味い。

開戦定食
お昼は刺身定食。美味い。飯ばっかり食べすぎ。
比内地鶏
食べそこなった比内地鶏は駅弁で鳥弁を食べる。美味し!秋田~東京間四時間。こまちで帰る。

秋田いいところですよ。みんな遊びに行ってくださいな。

鳥海山大物忌神社

鳥海山大物忌神社

山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字布倉1

神社の創祀は欽明天皇二十五年(千四百余年前)の御代と伝えられている。

鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われた。

本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ケ所に鎮座する。

大物忌神社は貞観四年(八六二)十一月官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として、吹浦鎮座の月山神社と共に収載されている。

後に、出羽國一の宮となり、朝野の崇敬を集めた。

特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきた。

中世、「神仏混淆以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなったが、明治三年神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治四年五月吹浦口の宮が国幣中社に列したが、同十三年七月に山頂本社を国弊中社改め、同十四年に吹浦・蔵岡の社殿を口の宮と称えて、隔年の官祭執行の制を定めた。

昭和三十年に三社を総称して現社号となる。

山頂の御本殿は伊勢野神宮と同じく二十年毎に建て替える式年造営の制となっている。

現在のご本殿は平成九年に造営された。

以上、鳥海山大物忌神社ホームページより。 http://www9.plala.or.jp/thoukai/index.html



鳥海山大物忌神社

鳥海山大物忌神社 (2)

鳥海山大物忌神社 (3)

鳥海山大物忌神社

この後鳥海山スカイラインへ。絶景。芋煮美味い。

酒田で海鮮丼食べて、新潟の瀬波温泉へ。日本海沿いにひた走りました。信号ないから楽でしたが。日本海荒波やなあ。

道中で友人がずっと秋華賞の予想をしてましたが、メイショウマンボを切ってはずしてました。アホやなあ。

上杉家廟所

上杉家廟所

山形県米沢市御廟1-5-30

戦国時代の大名である上杉謙信が越後国(新潟県)春日山城に没すると、その遺骸は漆を塗り甲冑を着せて埋葬された。後継者の上杉景勝は、後に天下統一を果たした豊臣秀吉の臣下となり五大老に任じられ、会津へ移動。 それに伴い謙信の霊柩も越後から会津に移され仮堂に安置されたと云われている。

慶長6年(1601年)関ヶ原の戦い後、上杉家は米沢に移動を命じられ、謙信の霊柩も再び移動することになる。 景勝は米沢入りを果たすと米沢城本丸に御堂を建立し謙信の霊柩をそこに安置したのである。

現在の上杉家廟所は米沢城址の北西あたりに位置しており、この場所は元々米沢城に一大事があった場合、一時的に謙信の霊柩を避難させる場所として設けられたと云う。

元和9年(1623年)景勝が他界すると現在の廟所に埋葬され、以後十二代藩主までここに埋葬される事になる。 明治政府の「廃城令」に伴い米沢城は解体され、謙信の霊柩も移動する事になり、当地に移る。

尚、現在の廟所は謙信霊廟を中央にして、その左右に歴代藩主の霊廟(墓所)が厳かに立ち並んでいる。二代景勝から八代重定までは、火葬での埋葬が行われ、御堂は入母屋造りの建造物である。さらに九代治憲から十二代斉定までは土葬となり御堂も宝形造りとなっている。治憲の倹約令により、構造も簡略化され材質も落とされている。 藩主ではないが、治憲の実子で十代治広の養嗣子であった顕孝も共に祀られている。また、明治以後に死去した十三代斉憲からは東京に墓所があるが、十四代茂憲は沖縄県令としての功績をたたえられ、沖縄県民有志により歴代藩主廟に並んで記念碑が建てられている。

地元では御霊屋(おたまや)とも呼ばれている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E5%AE%B6%E5%BB%9F%E6%89%80



上杉家廟所

受付で書置きをいただきました。

上杉家廟所

上杉家廟所 (8)

上杉家廟所 (5)

上杉家廟所 (3)

写真ボケまくりやな。

友人と二人で行きましたが、めっちゃ退屈してました。まあ、お墓ですしね。

この後、山形駅でアホほど日本酒飲むことになる。十四代美味い。

上杉神社


上杉神社

山形県米沢市丸の内1丁目4-13

上杉謙信が天正6年(1578年)、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られたが、次代の上杉景勝が会津を経て慶長6年(1601年)に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。

以後、米沢城二の丸の法音寺を主席とする十一ヶ寺が交代で祭祀を執り行ってきたが、明治に入ると神仏分離令、廃城令などにより、謙信の遺骸が城内から上杉家廟所に移され、その守護のために法音寺も廟所前に移転した。更に、城内に留まっている謙信の霊魂を神式で祀るため、十一ヶ寺次席の大乗寺の僧侶が還俗して神官となった。この時、姓を大乗寺とし、現在も同家で宮司職を務めている。

併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、山形県社「上杉神社」とした。明治9年(1876年)5月21日、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座された。

明治35年(1902年)4月26日には別格官幣社に列せられる。この時鷹山は新たに設けた摂社「松岬神社」に遷され、上杉神社は再び謙信のみを祀ることとなった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE



大正8年(1919年)の大火で境内は本殿以下全焼し、伊東忠太の設計により現在に残る社殿が再建された。

上杉神社

上杉神社 (4)

友人と突然遠出しようと誘われ、山形県へ。

米沢まで来ましたので、謙信公に会いに来ました。

上杉謙信像 (2)

謙信公。

上杉神社 (7)

上杉神社 (5)

上杉神社 (6)

漢槎宮(浮木神社)

漢槎宮(浮木神社)

秋田県仙北市西木町西明寺潟尻

湖に張り出す形になっている小さな神社で、流れ着いた大木の浮木(流木)を祀ったので別名を浮木神社という。また、潟尻明神とも呼ばれ、明和6年(1769年)秋田藩士で俳人で漢学者の益戸滄洲によって漢槎宮と命名された。よって田沢湖を漢槎湖または槎湖と呼ぶようになった。すぐ近くにたつ子像がある。

拝殿正面の扁額は、滄洲が田沢湖を遊覧した折に船頭をした少年斉藤千太郎に書き与えたもの。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%A7%8E%E5%AE%AE



浮木神社

浮木神社鳥居

浮木神社

8時間ぐらいかけて車で行ったんで、満身創痍でした。二人で交代で運転したけど、秋田遠すぎる。。