富山県の御朱印

雄山神社祈願殿

雄山神社祈願殿

富山県中新川郡立山町芦峅寺2

中宮祈願殿は、かつて中宮寺(芦峅寺)と呼ばれた神仏習合の施設。芦峅寺における立山信仰の拠点である。 立山の主峰「雄山」を正面に頂く位置にあり、開祖佐伯有頼は、この地で晩年を過ごした。

古来より武将や公家の信仰も篤く「お姥様」への献上品が奉納された。 周辺に宿坊や、女人救済のための行事を行なう布橋などがある。 女人禁制の立山信仰において、立ち入る事が出来た最終地でもある。

芦峅寺の信徒は、「一山会」と呼ばれる独自の組織をなしていた。彼らは16世紀以降、諸国配札檀那廻りを行い、立山の縁起図や立山牛王紙、そして薬草や薬紛などを配置し、翌年に代金を受け取っていた。越中売薬の起源とも呼ばれる組織である。

境内奥に西本殿(立山大宮)と東本殿(立山若宮)がある。「祈願殿」は江戸時代までは大講堂と呼ばれていた建物で、雄山大神を始めとする立山山中36社の神が合祀されている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE#%E4%B8%AD%E5%AE%AE%E7%A5%88%E9%A1%98%E6%AE%BF



雄山神社中宮


高瀬 (3)

高瀬 (8)

無事に富山県の一宮を巡ることができました。サンキュー後輩。サンキューマークX。

電車で飛騨高山に向かいます。

雄山神社前立社壇

雄山神社前立社壇

富山県中新川郡立山町芦峅寺

当社(前立社壇)は山裾に位置し、3社の中で一番平野に近く、立山の前に立つお社であることから前立社壇と呼ばれております。
社伝によれば、立山は 文武天皇の 大宝元年(701年)に 景行天皇の 後裔越中国司 佐伯宿祢有若公の嫡男 有頼少年が 白鷹しらたかに導かれ熊を追って岩窟に至り、「我、 濁世の 衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かんがためなり。」という 雄山大神の神勅を奉じて開山造営した霊山であります。古来、富士山・白山と共に日本三霊山として全国各地から信仰されてきました。

以上、雄山神社ホームページより。 http://www.oyamajinjya-maetateshadan.org/



雄山神社

雄山神社峰本社


峯本社の御朱印もこちらでいただけます。軽装だったため登山は断念。

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高瀬神社

高瀬神社

富山県南砺市高瀬291

御鎮座は遠く神代の昔、また景行天皇11年の御代とも云われています。社伝に御祭神が北国御開拓の折、この地に守り神を祀り、国成りおえて後、自らの御魂をも鎮め祀られ、出雲へ帰り給うたとも伝えられ、のちに延喜式内社、越中一宮として崇められてきました。
 越中国の人々は勿論、朝廷の崇敬も厚く、天武天皇の御代に勅使を派遣され、光仁天皇の宝亀11年に従五位、文徳天皇の斉衝元年に従三位、また同年、祢宜、祝等に把笏を許さる。貞観元年に正三位、その後も順次累進、治承4年に正一位を授かりました。
 また社頭荘園多く又皇室の御領に宛てられたこともあり、神子屋鋪・鎌倉屋鋪・大宮司田・神子畑等、近傍に残る地名によって、往時の盛大さを偲ぶことが出来ます。
 戦国時代には社頭荒廃し、見るに忍びない状態となりましたが、前田藩主の崇敬厚く漸次神威昂揚せられて、明治6年に県社、大正12年に国幣小社に昇格されました。
 大正13年には摂政の宮の御使が参向され、大正14年には皇后陛下より「神ながらの道」を奉献され、昭和3年の御大典、昭和16年の宣戦また昭和20年の終戦には勅使の参向がありました。

以上、高瀬神社ホームページより。 http://www.takase.or.jp/guide.html



高瀬神社

高瀬 (2)

ブライダルフェアやってました。いいなあ。

本殿の写真を撮り忘れたのか。鳥居の写真のみ。まあいいか。

射水神社

射水神社

富山県高岡市古城1-1

社伝によれば、養老年間(714~723)、僧行基が二上山麓に建てた養老寺に、二上権現と称して祀ったのが二上神の鎮座といわれ、当時の領域は二上全山の22万坪余りにも達しました。その後、承平(931~938)、天正(1573~1592)の二度にわたる兵火で焼失しますが、慶長十五年(1610)、加賀藩主・前田利家公により復興。明治四年(1871)には、越中国で最も格式高い「国幣中社」に列せられます。同八年、高岡城本丸跡の現在地に遷座され、同三十三年六月、高岡大火の折に類焼しましたが、同三十五年復興しました。遷座よりすでに百三十年以上がたち、名神大社の格式を今も守り続けています。

以上、射水神社ホームページより。 http://www.imizujinjya.or.jp/intro/index.html#unit



射水神社


越中国一の宮、射水神社の御朱印です。

射水

射水 (2)

射水 (4)

全国一の宮朱印帳を持った参拝者を発見。同志か。。

気多神社

気多神社

富山県高岡市伏木一宮1-10-1

気多神社(けた じんじゃ)は、養老2年(718年)に僧行基が創建したと伝えられています。また天平年間(757~764年)に越中一ノ宮として能登一丿宮の気多大社から勧請したとも言われています。なお、富山県内には気多神社を含めて「越中一ノ宮」を称している神社が4ヶ所(雄山神社・気多神社・射水神社・高瀬神社)あります。
天文年間(1532~1554年)に上杉謙信の兵火にかかり焼失したため、永禄年間(1558~1569年)頃に再建したのが現在に残る本殿と云われています。構造は、三間社流造りで正面一間の向拝があり、屋根は柿板葺きで軒は二重繁垂木です。斗キョウは和様の三つ斗で、棟下の両側面柱の上は舟肘木を用いています。向拝斗キョウは同じ三つ斗で、正面虹梁上には蟇股(かえるまた)があります。向拝柱および前面第一列の方柱を用い、他の柱は全て円柱となっています。
正面三面および両側面は吹き通しで、意匠は簡易なつくりですが木割が大きく全体に雄大な風格の本殿で室町時代の特徴を見ることが出来ます。

この参道の階段を上った正面が拝殿で、その後方に本殿(国指定重要文化財)があります。本殿の近くまでは行けませんが、拝殿の左手に回り込めば比較的よく見えます。階段上部左側の大きな杉の木は気多神社の御神木です。

以上、気多神社ホームページより。  http://ketaweb.com/about



気多神社
越中国一の宮です。御朱印は書置きをいただきました。

気多神社 (6)
糸魚川から暑さで朦朧としつつ電車で富山に。途中親不知子不知とか通過した気がする。

東横インにチェックインし、大学の後輩を呼びつけて総曲輪へ飲みに行く。

飲み屋の姉ちゃんに「俺ら富山中部高校出身なんだ~」とウソの自己紹介をして

「え~すごい頭い~」と言われて楽しむ。

気多神社
そして翌日、後輩にマークXを出させて神社巡り。どうもご迷惑かけます。

気多神社 (5)

気多神社 (4)
書置きの御朱印をいただき、次の神社へ。

富山は一宮が多くて公共交通機関では回りきれないですね。