新潟県の御朱印

度津神社

度津神社

新潟県佐渡市羽茂飯岡550−4

度津神社(わたつじんじゃ)は、新潟県佐渡市羽茂飯岡にある神社。式内社、佐渡国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

歴史
往古の羽茂川洪水により社殿、古文書から別当寺にいたるまでことごとく流失したため、創建の由緒は不詳である。『佐渡國誌』[4]には、寛永18年(1641年)1月21日付けの『飯岡村八幡宮證文之寫』が所収されているが、そこには「殊ひたの内匠立申候両社 仲哀天皇之御宇神祇之書物于今在社に御座候、・・・」との記述がある。このとき本当に『神祇之書物』が存在したのだとすれば、その内容によっては当神社が仲哀天皇の御宇である仲哀天皇元年-同9年頃、またはそれ以前に創建された可能性が出てくるが、縁起などが流失した洪水は寛永18年以前に起こったと伝えられている。

延長5年(927年)に『延喜式神名帳』により式内社、小社へ列格された。『中世諸国一宮制の基礎的研究』[6]では、『延喜式神名帳』における佐渡国の式内社記載順によって一宮と呼ばれるようになっている、と述べている。また『佐渡志』[2]には「延喜式載スル所ノ九社ノ第一ニシテ、・・・」との記述がある。

『朝野群載 巻6』には、神事に過穢があったことにより祟り給うたので、度津神社に使者を遣わし中祓いを科して祓い清めるべしとの承暦4年(1080年)6月10日付けの神祇官奏上が記載されている。

『佐渡國寺社帳』によれば、往古の社地は東にあり、文明2年(1470年)羽茂川の洪水により社殿・古文書等ことごとく流失したので[7]、同 4年(1472年)に本間氏が再建立したのだと言う。『佐渡志』では、古の祠は正和中に改修され、その後の文禄2年癸丑(1593年)6月の水災により社壇が流されたので同じ村の八幡宮に合祀した、さらにその後、旧地に祠を作ったが、なお八幡宮を相殿に置いたと述べている。これらを受け『佐渡國誌』[4]では、文禄2年は癸巳であって癸丑ではなく、『佐渡國寺社帳』にある文明2年は癸でも丑でもない、また文明から文禄までの120年間に癸丑であったのは明応2年(1493年)と天文2年(1533年)で、いずれも△△2年なので特定できないが、文禄2年には有名な洪水があったので癸丑は癸巳の誤りと見て、文明2年と文禄2年の両年に水災があったと見るのが穏当ではないか、と考察している。旧社地については、かつて海岸寄りに鎮座していたのが、後に現在地に遷座したとの説、『佐渡一ノ宮度津神社参拝の栞』で考察している現社地より川下の別当屋敷の地名が残るあたりとの説がある。このような状況から『中世諸国一宮制の基礎的研究』[6]では、「旧社地については諸説ありはっきりしない」と述べている。

『飯岡村八幡宮證文之寫』の記述から寛永18年(1641年)には当神社が八幡宮に合祀されている様子が分かる。『飯岡村八幡宮證文之寫』の内容から、この頃まで八幡宮と度津神社が混在して明確に分かれておらず、さらに文意を考えれば八幡宮が一宮であるかのように見え、おそらく地頭等を含め皆が八幡宮を信仰して社料も多く附けられていたのだろう、と『佐渡國誌』[4]では推察している。

神道家の橘三喜は延宝3年(1675年)から23年かけて全国の一宮を参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』全13巻[3]として著したが、当神社には延宝6年(1678年)に参詣している。前述のように、現在の当神社祭神の杜撰には橘三喜が係わっているのではないか、と言われている。

『中世諸国一宮制の基礎的研究』[6]によれば、文化13年(1816年)に度津神社別当神宮寺と一宮神社別当慶当寺の間に一宮論争が起こったのだという。同書では、その結果として度津神社別当神宮寺が勝訴し、以後は佐渡国一宮といえば度津神社と言われるようになったのだ、と述べている。

当神社の東前方には前述のように度津神社別当神宮寺があったが、明治の神仏分離令に際し帰農している。明治4年(1871年)5月14日には国幣小社に列せられたが、第2次世界大戦の終戦に伴い旧社格は廃止され、その後、当神社は神社本庁が包括する別表神社となっている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A6%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE



度津神社

満を持して佐渡島へ。ついに来ましたね。

フェリー

フェリーときわ丸。すごい新しい。

新潟港

新潟港を離れる。ミャアミャア鳴いてるのはウミネコ。

佐渡牛乳

佐渡牛乳。コーヒー味もあります。

佐渡の山

佐渡上陸!!雪残ってんな!!

回転すし

昼食は回転すし弁慶へ。美味い!!ネタも米もでかい!!食べごたえ抜群です。100円回転すしでは味わえないですな。

度津神社 (2)

満腹状態でレンタカーに乗り込み度津神社到着。両津港からはちょっと遠いですね。結構走りました。

度津神社 (3)

度津神社 (4)

度津神社 (6)

度津神社 (7)

度津神社 (5)

ちょっと遠いですけど、人里離れた感があって、雰囲気がいいですね。公園があって親子連れが遊んでたりするので、全く人の気配がないわけではないですけど。参拝客も僕たちの他にも何組かいらっしゃいました。

宿根木

宿根木 (2)

参拝後、宿根木へ観光へ。世捨て小路。葬列はここを通って村とお別れするのだそうで。

世捨て小路

風情のある街並み。

白山神社

白山神社 (2)

白山神社がありました。参拝。

宿根木 (3)

変な祭り

ちとちんとん。

アメフラシ

港で見つけたアメフラシ。左上にいるのわかります?けっこう大きい。初めて見ました。

こういう田舎の海のある町で、新垣結衣みたいな女の幼馴染がいたらいいな~っていう妄想をしていました。

学校帰りに海の中観察して『見て!アメフラシ!』とか言ってほしい。

そして違う高校に進学して疎遠になっていくってところまで妄想して、車にはねられそうになって現実に帰る。危なく死ぬところでした。

ガッキー

ああああああああああああああかわいいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

夕食 (3)

夕食。独り旅が多いので、こういうちゃんとした夕食は貴重。しっかりした宿に泊まるのもいいですね。

佐渡金山

翌日、ひとまずスカイラインへドライブ。佐渡金山。

スカイライン

景色。

トキ (3)

トキセンターへ。昔は函館から沖縄まで生息していたのに、いなくなってしまうものなんですねえ。みんな羽毛布団にされてしまった。

日本タンポポ

なんか大きいタンポポが生えてたので観察。頭花の下の総苞片が反り返っていなければニホンタンポポ、反り返っていればセイヨウタンポポ。これはおそらくニホンタンポポですね。

長三郎 (2)

昼食は長三郎で。

長三郎

B級グルメブリカツ丼。美味い!

そして新幹線で帰って今にいたる。佐渡はやっぱり遠かったな~。行けてよかった。

天津神社

天津神社

新潟県糸魚川市一の宮1-3-34

景行天皇の時代の創建と伝えられ、孝徳天皇の勅願所であったと伝えられている。旧糸魚川町のうち、一の宮・押上・寺町・大町・七間町等の産土神として崇敬された、慶長16年(1611年)、江戸幕府から黒印地百石を寄進され、翌年朱印地に改められた。大正7年(1918年)に郷社に列し、後に県社に昇格した。

『延喜式神名帳』には式内社として「越後国頸城郡 大神社(おほむは-)」が記載されているが、その論社に比定されている。また、境内社の奴奈川神社(ぬなかわ-)も式内社論社である。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E5%B8%82)



天津神社

越後国一宮の一つです。

天津鳥居

天津本殿

天津本殿斜め

この後、北陸本線で富山へ。8月の日差しの下、キャリーバッグを引いて回ったのが災いし、頭痛が。。

居多神社

居多神社

新潟県上越市五智6丁目1-11

大国主命・奴奈川姫・建御名方命を祀り、越後一宮とも呼ばれる延喜式内社。
代々、国司の厚い保護を受けてきました。親鸞聖人も上陸の際に一番に参ったといわれ、聖人にまつわる越後七不思議の第一番「片葉葦」が群生していることでも知られています。
鎌倉時代の作と推定される、市指定の文化財・木造狛犬や、年1回公開される、中世から近世にかけての居多神社文書(市指定文化財)が保管されています。

以上、上越観光ナビより。 http://joetsukankonavi.jp/spot.php?id=166



居多神社
越後国一宮の一つです。

居多 (4)

居多

居多 (3)

居多 (2)

越後国の一宮、2社目に無事参拝(一宮なのに2社というのも不思議な感じですが)。

次は糸魚川へ向かいます。『いといがわ』って読めないんですけど。

春日神社

春日神社

新潟県上越市春日18

春日神社は春日山城の名称の元となりました。現在の春日山頂に約500年、現在地に遷座してから600年の歴史があります。
奈良の春日大社の分霊を祀っており、春日大社の記録では全国の春日神社の中で最初に出てくる神社です。
春日山城全体の総鎮守として謙信公時代より崇敬の念篤く、地城の産土神として大切にされてきました。

以上、上越観光Naviより。 http://joetsukankonavi.jp/spot.php?id=165



春日神社
御朱印は書置きをいただきました。

春日神社鳥居
春日山神社からの帰り道に、神社が見えたので参拝。

春日神社鳥居、石段

春日神社石段

春日神社本殿 (2)

春日山神社

春日山神社

新潟県上越市大豆1743

山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神に祀った神社です。
明治34(1901)年に、童話作家・小川未明の父・小川澄晴によって創建されました。
日本近代郵便の父・前島密も援助したといわれています。
直線的でがっしりとした神明造の社殿は見応えがあり、境内に隣接する春日山神社記念館には、謙信公の遺品・資料などが展示されています。
また、小川未明の『雲のごとく』の詩が刻まれた石碑や、童話をモチーフにした石像なども見ることができます。

以上、にいがた観光ナビより。  http://www.niigata-kankou.or.jp/sys/data?page-id=8438



春日山神社

書置きをいただきました。

春日山神社 鳥居
直江津からタクシーで春日山へ。

戦国好きとしては謙信公ははずせませんからね。

春日山神社 本殿

春日山神社