福島県の御朱印

伊佐須美神社

伊佐須美神社

福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377

会津盆地南縁の宮川沿いに鎮座する、陸奥国二宮・会津総鎮守である[1]。「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれ、2人が会津の開拓神を祀ったのが伊佐須美神社の創祀とされる。会津地方では、古墳時代前期にはすでにヤマト王権特有の大型前方後円墳が築造されており、王権勢力の東北地方への伸長の実情を考える上で重要な要素を担う神社である。

境内は広く、内部には鬱蒼とした社叢が広がる。社殿は平成20年(2008年)の火災で焼失したため、現在は仮社殿を設けたうえで再建中である。また文化財として、室町時代の朱漆金銅装神輿(国の重要文化財)を始めとする多くの社宝・天然記念物・神事を現在に伝えている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BD%90%E9%A0%88%E7%BE%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE



伊佐須美神社

見開き2ページの御朱印かっこいい!!

岩代紋

社殿は放火で焼失したそうで、募金お願いしてました。みなさん参拝したら協力してあげてくださいね。

鶴ヶ城稲荷神社

鶴ヶ城稲荷神社

会津若松の鶴ヶ城内に鎮座。

鶴ヶ城稲荷神社

鶴ヶ城稲荷

鶴ヶ城稲荷 (2)

鶴ヶ城稲荷 (3)

鶴ヶ城稲荷 (4)

鶴ヶ城

鶴ヶ城、花

八重の桜の影響か、会津若松は観光客でいっぱいですね。

宇賀神堂

宇賀神堂

福島県会津若松市一箕町大字八幡弁天下1404

白虎隊19士の墓から少し下ったさざえ堂の境内に隣接したところにある。創建は寛文年間(1661~1672)で、内部には白虎隊19士の霊像が安置されている。

以上、るるぶ.com 宇賀神堂の観光情報より。 http://www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=J0041436 



宇賀神堂

宇賀神堂

さざえ堂は時間がなかったので入らず。駆け足での会津観光になってしまった。またゆっくり来たいなあ。

飯盛山

飯盛山

福島県会津若松市一箕町

「飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なので、この名前が付けられたという。

江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦するが、そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある。「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前に 山のふもとには土産屋が並ぶ。この土産屋一帯は、昔から存在し、無料の看板で駐車場へ誘うものの一定の土産物屋で買い物を迫る「買うように迫る商法」とよく言われ、強烈な誘いで有名。山へ登るのには2つのコースがあり、徒歩で登るコースと、エスカレータで登るコースがある。(後者有料)

中腹には、日本では大変珍しい木造建築物栄螺堂(さざえどう)(旧正宗寺三匝堂)がある。上りと下りで同じ道を通らず抜けられるという仕組みで、国の重要文化財に指定されており、これ目当てで観光に来る客も多い。

頂上からは会津若松市内が一望できる。 テレビ朝日系ドラマ「白虎隊」のロケ地でもある。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%9B%9B%E5%B1%B1_(%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C)



白虎隊

飯盛山
こちらの御朱印は売店でいただきました。

飯森

飯盛山

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飯盛山からの景色。白虎隊は自決前、鶴ヶ城から煙が上がる様をここから見ていたのでしょう。

蚕養国神社

蚕養国神社

福島県会津若松市蚕養町2-1

創建
社伝では、弘仁2年(811年)の創建という[1]。

『延喜式』神名帳では、この蚕養国神社以外に社名を「蚕養国」とする官社はなく、この社名は当社が唯一のものになる[2]。社名に見えるように蚕養国神社の創建には養蚕業が関係すると考えられているが、会津で養蚕が盛んだったことにより祀られたというよりは、会津で養蚕を盛んにしようとする中央政府の政策のために祀られるようになったと見る説が挙げられている[2]。その背景として、『日本後紀』延暦15年(796年)11月8日条に見える、伊勢・三河・相模・近江・丹波・但馬等の国の婦女2人ずつを陸奥国に遣わして2年間養蚕技術を教えさせたという記事の存在が指摘される[2]。

概史
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では陸奥国会津郡に「蚕養国神社」と記載され、式内社に列している[3]。会津郡の式内社は蚕養国神社と伊佐須美神社(大沼郡会津美里町)のみであった[3]。

この蚕養国神社について国史に記載は見えないが、社伝では承和年間(834年-848年)に陸奥・出羽国按察使兼鎮守府将軍の藤原富士麻呂の奏上により官社に列したというほか、寛弘7年(1011年)には県令の石部少将道秀らによって社殿が創設されたという[1]。その後、兵火により社殿を焼失し衰退するが、会津藩初代藩主の保科正之によって復興され、社殿造営と社領20石の安堵を得た[1]。さらに寛保3年(1743年)には神階が正一位に進み、文化4年(1807年)には火災によって社殿を焼失したが、文政2年(1819年)に8代藩主の松平容敬によって再建されたという[1]。

明治維新後、明治9年(1876年)11月に近代社格制度において県社に列した[4]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%95%E9%A4%8A%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE



蚕養国神社

蚕神社

蚕神社 (3)

蚕神社 (2)

郡山から始発で会津若松へ。飯盛山への道中にあったので、参拝。社務所の巫女さん可愛い。