神奈川県の御朱印

稲毛神社

稲毛神社

神奈川県川崎市川崎区宮本町7-7

創建の年代は不詳であるが、社伝によれば、武甕槌神を祀って天皇の軍の戦勝を祈ったのに始まると伝えられる。景行天皇が東国巡行の際に、当社で賊難を避けたという。欽明天皇が東征のとき、新たに配祀神四神を祀り、以降長らく勅願所とされたと伝えられる[1]。

当初は祭神の名前から「武甕槌宮」と称していた。平安時代末期、この地を領有した河崎基家が山王権現を勧請して以降、「河崎山王社」「堀之内山王権現」などと呼ばれるようになった[1]。

明治元年、関東へ下降する有栖川宮熾仁親王が当社で休憩し、その際、「神仏習合に基づいた「山王」の社名は新政府の神仏分離の方針にふさわしくない」と言ったことから、社名を旧地名の武蔵国稲毛庄にちなんで「川崎大神稲毛神社」とし、明治中頃に「稲毛神社」の名が定着した[1]。

明治6年、郷社に列格した。昭和41年(1966年)、神社本庁の別表神社に加列された[1]。

田中休愚の一族らが奉納した手洗石は川崎市重要歴史記念物に指定されている[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E6%AF%9B%E7%A5%9E%E7%A4%BE



稲毛神社
夏詣御朱印をいただきました。

大鷲神社
大鷲神社の御朱印もいただきました。

すた丼
仕事が昼で終わり、お土産の銀座デルレイのチョコレートも買って時間が余ったため、前回捻挫で途中で退散した川崎へ。

とりあえずすた丼で遅めの昼食。重たい。

稲毛神社 (1)
稲毛神社に到着。

稲毛神社 (2)
以前から存在は知っていましたが、なかなか来れていませんでした。

稲毛神社 (3)
大通りに面しているほうに立派な鳥居が。

稲毛神社 (4)
こちらが正規ルートですね。

稲毛神社 (5)
手水舎

水が入ってない気がする。

稲毛神社 (6)
大鷲神社。こちらの御朱印もいただけます。

稲毛神社 (7)

稲毛神社 (8)

稲毛神社 (9)
手水舎

こっちは水あるわ。

稲毛神社 (10)
天地睨みの狛犬。

変わった狛犬ですね。

稲毛神社 (11)

稲毛神社 (12)

稲毛神社 (13)
このあと飛行機で帰りました。疲れました。

そして出張の日に限って飲みの誘いがいっぱい来る。今日は流石に行けませんな。

女躰大神

女躰大神

神奈川県川崎市幸区幸町1丁目994

神社創立の年代は不詳なれど、口碑の伝うる処によれば、永禄年間より女躰権現と称えられ、南河原村真言宗宝蔵院が別当職でありました。
当村は、武蔵国荏原郡八幡塚の農民が移住し、開墾に従事し、民家次第に増加したのであります。この地は、多摩川の南側にありましたので、南河原村と名付けられたとのことであります。地形多摩川の辺りのため、降雨のたびごとに多摩川の土砂堆積し、田畑への冠水甚だしく洪水の都度流域が変化し、常に大きなる災害を蒙り、遂に農耕が不可能な状態になりました時、一人の女丈夫水中に身を投じ、一身を犠牲に供せられし、その真心によりその後は大いなる災害もなく、住民漸く安堵し、農耕に励むことが出来ました。これも女丈夫の偉大なる御徳の御陰と敬慕し、その偉業を称え又後世に伝えるため、多摩川辺りの俗称『ニコニコ松』の下に一祠を建立して、その御霊をお祀りしました。
その後、現在の位置に鎮め奉る。 

以上神奈川県神社庁ホームページより https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=19&cd=1201019&scd&npg=0&fbclid=IwAR2SUNVav_uCD7N4X3JIK7xgfXoWZ8gZ5xMXuBzkOoaJoUkAcbZp7_qb0RU



女躰大神
書置きをいただきました。

二郎 (2)
先輩に呼び出しを受けたため上京。表敬訪問まで時間があるので神社巡りをします。

川崎で二郎を食べて腹ごしらえ、と思ってたら足を滑らせてひざが変な方向に曲がる。痛てえ。

足を引きずりながら京急川崎二郎へ。まさかの大ダメージ。

二郎 (1)
痛むひざに二郎が染み入ります。美味い!

女体大神 (2)
ひざは腫れていないので骨折ではないと判断し、神社めぐりに行きます。

足を引きずりながら川崎の女躰大神に来ました。

女体大神 (1)
川崎駅からそこそこ近い。

女体大神 (3)
手水舎

女体大神 (4)
銀杏

女体大神 (5)

女体大神 (6)
ひざの無事を祈願。

その後先輩宅に無事到着し、歓待を受けた上に翌日整形外科まで連れて行っていただきました。骨は折れてませんでした。シップだけもらいました。ありがとうございました。

日吉神社

日吉神社

神奈川県横浜市港北区日吉3丁目9−5

創立年代は不詳ですが、古くから武蔵國橘樹郡矢上村総鎮守として、同村北方に位置する通称「お伊勢原」と呼ばれる丘の上に鎮座し、「神明社」と称しました。新編武蔵風土記稿には「矢上村古くは谷上と書きけり、村の北丘の上に神明社あり、入り口に鳥居二基あり、社頭に古松樹生茂りたれば古き宮居なることしらる」と記されています。
旧社殿は天明5(1758)年の修造と伝えられます。昭和11年、神明造りの本殿、幣殿、拝殿を改築。同14年にこの地が横浜市に編入させられたのを機に新町名に因み、社号を「日吉神社」と改めました。同51年には更に社殿を修復し、伊勢神宮の御分霊「天照坐皇大御神」勧請奉斎し、遷座祭を執行、以来8月28日を例大祭日と定め執り行っています。
平成14年には長年の懸案だった「参集殿」も完成、床下を収納庫にし、今までの祭礼幟竿・祭礼備品庫を取り壊し、裏参道拡幅などの境内設備工事も行いました。
また祭礼備品等庫の跡地には、これも宿願であった天神さまを、太宰府天満宮より御分霊いただき、新しく境内末社として「矢上天神社」の名称で創建いたしました。

以上、神奈川県神社庁ホームページより。 http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=178&cd=1202083



日吉神社

日吉神社
サークルの先輩家族のお宅訪問のため日吉へ。早く着いたので神社参拝します。

日吉神社 (10)

日吉神社 (9)

日吉神社 (8)

日吉神社 (3)

日吉神社 (4)

日吉神社 (6)
摂社の天神社には慶応合格祈願の絵馬がいっぱい。受験生がんばれ!勉強しろ!

日吉神社 (5)

日吉神社 (7)

先輩の家でかなりごちそうになってしまった。ありがとうございました。

大山阿夫利神社

大山阿夫利神社

神奈川県伊勢原市大山355

大山は古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂からは祭祀に使われたとされる縄文土器が発掘されるなどしている[2]。大山は山上によく雲や霧が生じて雨を降らすことが多いとされたことから、「あめふり山」とも呼ばれ、雨乞いの対象としても知られていた[2]。

大山阿夫利神社は、社伝によると崇神天皇の御代[3]に創建されたとされる。延喜式神名帳では「阿夫利神社」と記載され、小社に列している。

天平勝宝4年(西暦752年)、良弁により神宮寺として雨降山大山寺が建立され、本尊として不動明王が祀られた。以後、神仏習合が続く。

中世以降は大山寺を拠点とする修験道(大山修験)が盛んになり、源頼朝を始め、北条氏・徳川氏など、武家の崇敬を受けた。

江戸時代には当社に参詣する講(大山講)が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣した。大山詣は6月27日から7月17日まで期間に行われる女人禁制の参詣で、特に鳶や職人の間で人気があった。大山に2つある瀧・良辧瀧と大瀧で水垢離し、頂上の石尊大権現に登り、持ってきた木太刀を神前に納め、改めて授けられた木太刀を護符として持ち帰った。また、大山祇大神は、富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫の父であるとされたため、大山と富士山の「両詣り」も盛んとなり、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれた[2]。なお、一部の地域には、大山に登ると一人前として認められるという伝承があり、大山の神霊が立身出世の神とされていたことがうかがえる[2]。

明治時代になると神仏分離令を機に巻き起こった廃仏毀釈の大波に、強い勢力を保持していた大山寺も一呑みにされる。この時期に「石尊大権現・大山寺」の称は廃され、旧来の「阿夫利神社」に改称された。明治6年(1873年)には県社に列格している。

戦後、神社本庁には属さず、昭和27年(1952年)8月より阿夫利神社本庁として単独で運営されてきたが、近年、神社本庁の傘下に入った(阿夫利神社本庁も存続)。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E9%98%BF%E5%A4%AB%E5%88%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE



大山阿夫利神社


大山阿夫利神社奥宮

山頂の茶店でも御朱印がいただけます。

大山

大山 (2)

大山 (18)

大山 (5)

大山 (7)

大山 (1)

大山 (6)

大山 (20)

山頂まで登ってきました。なめてました。登山のできる装備で来ましょう(特に靴とか)。
高尾山よりきつかったな。

満願弁財天

満願弁財天

大稲荷神社の近くに鎮座。

満願弁財天

満願弁財天

満願弁財天 (2)

御朱印は社務所にて書置きをいただきました。