神社巡って南船北馬~神社と御朱印~

御朱印を拝受した神社を地域別に掲載。神社以外の御朱印の記事も一部あり。

このブログについて

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神社好きが高じて、御朱印を拝受するようになりました。

神社巡りをする中で、さまざまな場所を訪問したので、旅の思い出を記録するためにこのブログを作りました。

御朱印をいただいた神社を、都道府県別に記事にしております。神社以外で御朱印をいただいた記事も一部あります。

訪問した場所は、下記のマップに登録しております。

御朱印マップ



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防府天満宮

山口県の御朱印

防府天満宮

山口県防府市松崎町14番1号

防府天満宮(ほうふてんまんぐう)は、山口県防府市にある神社。菅原道真を学問の神として祀った天満宮である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。

道真が亡くなった翌年である延喜2年(904年)に創建され、「日本最初に創建された天神様」を名乗る。かつては「松崎天満宮」・「宮市天満宮」あるいは単に「天満宮」と称していたが1873年に近代社格制度のもとで県社に列格し、松崎神社と改称。戦後の1953年には防府天満宮と再び改称した。道真が宮中での権力争いで失脚し、九州の大宰府に流されていく道筋での宿泊地の一つが防府とされており、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで、日本三大天神と言われている。
防府市は、この天満宮を中心に栄えてきた都市であり、年間を通して天満宮の行事での来訪者が多い。また市外からの来訪者も多く、正月の3が日には約30万人の人出を記録している。有名な祭りとしては2月の牛替神事(うしかえしんじ)と11月の御神幸祭(ごじんこうさい)が挙げられる。御神幸祭は別名裸坊祭(はだかぼうまつり)ともいい、約1トンある御網代(おあじろ)を引っ張って、行きは表参道の大階段を下り、帰りは表参道の階段を上っていくという危険なことをするために、毎年怪我人が絶えない。また牛替神事は、天神様の乗られる牛車を引く牛を取り替えるということでの儀式である。その他、8月3日から5日までは、道真の生誕を祝う御誕辰祭が行われる。夜には1000本あまりの蝋燭に火を灯した万灯祭献灯で表参道が飾られるほか、最終日には防府天満宮夏祭り大花火大会も行われる。
道真は学問の神とされているため、ここで筆を買ったり、受験のお守りを買う若者の参拝も多い。
春には太宰府天満宮などと同様、梅の花が開き境内を飾る。
境内の西側には、春風楼と名付けられた楼閣式の参籠所がある。当初は、長州藩第10代藩主の毛利斉熙が、文政5年(1822年)から五重塔の建立に着手したが、天保2年(1831年)に不慮の支障によって工事は中断、幕末の動乱などが妨げとなって五重塔は完成しなかったものの、当時着工されていた組物(寺院建築の軒荷重を支える部材で、斗と肘木からなる)を床下に組み入れる形で、明治6年(1873年)に作られた。春風楼からは防府市街地が一望できるほか、御誕辰祭などの行事でも利用されている。
以前の社殿は江戸中期の建立であったが、1952年に焼失。現社殿の設計は山口県出身の京都大学教授村田治郎の指導で、工学博士の杉山信三が設計図を担当、1958年に完成、2009年に登録有形文化財に登録された。

以上ウィキペディアより。

s-防府天満宮

s-防府天満宮 御朱印帳
オリジナル御朱印帳あります。

御朱印帳袋
なぜか御朱印帳袋も購入してしまった。

防府天満宮 (3)
山口遠征最後の神社は防府天満宮です。有名な神社ですね。

防府天満宮 (2)

防府天満宮 (12)
石段を上る

防府天満宮 (13)
撫で牛

防府天満宮 (4)
天満宮恒例大量の絵馬

防府天満宮 (10)
撫で牛

防府天満宮 (11)
手水舎

防府天満宮 (7)

防府天満宮 (8)

防府天満宮 (6)

防府天満宮 (5)
流石日本三大天神。立派な神社でした。

かつや
帰り道でかつやで遅めの昼食。重たい。

柳井港 (1)
柳井港に到着。フェリーもちょうどいいのがありました。

柳井港 (2)
フェリーでしばし休憩。松山についたら夕方やな。

なかう (2)
夜の道をひたすら進む。途中灯りに導かれる蛾のようになか卯に立ち寄る。

なかう (1)
牛丼美味いわ。今回の旅の食事、チェーンのどんぶり店ばっかりですね。地元の名産とかガン無視してしまいました。

それもまたよし。真夜中に無事に帰宅しました。二日ぐらい疲れが取れませんでした。



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玉祖神社

山口県の御朱印

玉祖神社

山口県防府市大字大崎1690

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は、山口県防府市大崎にある神社。式内社、周防国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。通称たまっさま。
同市内にある同名の神社3社、および大阪府八尾市にある玉祖神社は当社から勧請を受けたもので、当社はこれら玉祖神社の総本社である。

物証はないが、勾玉や管玉を作る集団である玉造部が祖神玉祖命を祀るために創建したと考えられている。
日本書紀によれば、景行天皇が熊襲征伐のために西行する途中、この地の神夏磯媛(かみかしひめ)を長とする一族が神器を捧げ恭順を示し、このとき天皇は玉祖神社で戦勝祈願したという。
社伝によれば、祭神の玉祖命がこの地で亡くなったため、社殿を造営して祀ったのに始まるとされ、附近には玉祖命の墳墓と伝えられる「玉の石屋」がある。平安時代には周防国一宮として崇敬を受け、中世以降も歴代領主から崇敬された。神階は康保元年(964年)に従一位まで昇った。
東大寺再建の用材調達のために佐波川流域を訪れていた俊乗坊重源は、その完成の感謝として建久6年(1195)に玉祖神社に社殿と10町の免田を寄進した。社では重源が加判した「周防国一宮造替神殿宝物等目録」(国・重文)を所蔵している。

以上ウィキペディアより。

玉祖神社

玉祖 (1)
下関から東に突き進み、到着。

玉祖 (2)
バイパスで参道が削られたんですね。

玉祖 (3)
長い参道。

玉祖 (4)

玉祖 (6)

玉祖 (5)
手水舎

玉祖 (7)

玉祖 (8)
ご朱印は書置きがおいてありました。旅人には優しい使用ですね。



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住吉神社

山口県の御朱印

住吉神社

山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、山口県下関市一の宮住吉にある神社。式内社(名神大社)、長門国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
大阪の住吉大社・博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の1つに数えられる。本殿は国宝に指定されている。

『日本書紀』神功皇后摂政前紀によれば、三韓征伐の際、新羅に向う神功皇后に住吉三神(住吉大神)が神託してその渡海を守護し、帰途、大神が「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」と再び神託があり、穴門直践立(あなとのあたえほんだち)を神主の長として、その場所に祠を建てたのを起源とする。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では長門国豊浦郡に「住吉坐荒御魂神社三座 並名神大」と記載され、三座が名神大社に列している。
創建の由緒から軍事と海上交通の神として厚い崇敬を受け、鎌倉時代に入ると、源頼朝を始め歴代将軍からの社領などの寄進を受けた。戦国時代に一時衰微したが、大内氏、毛利氏からの崇敬を受けて復興し、江戸時代には長州藩主毛利氏によって社殿の修復が行われた。
明治維新後、明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣小社に列し、明治44年(1911年)には官幣中社に昇格した。

以上ウィキペディアより。

住吉神社

住吉神社 (2)
道に迷うも、ガソスタのおじさんの助けで何とか到着。

住吉神社 (3)
ちょっと奥まった位置にありますが、立派な神社です。

住吉神社 (4)

住吉神社 (5)
手水舎

住吉神社 (6)

住吉神社 (7)

住吉神社 (8)

住吉神社 (9)
目的とする一の宮に参拝できました。下関をあとにします。

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赤間神宮

山口県の御朱印

赤間神宮

山口県下関市阿弥陀寺町4-1

赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市にある神社である。旧社格は官幣大社。壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。
江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。平家一門を祀る塚があることでも有名であり、前身の阿弥陀寺は『耳なし芳一』の舞台であったが、廃仏毀釈により神社となり現在に至る。

貞観元年(859年)に阿弥陀寺として開闢。
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は現場付近では発見できなかったが、赤間関(下関)に建久2年(1191年)、勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させた。以後、勅願寺として崇敬を受ける。
明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、神社となって「天皇社」と改称した。また、歴代天皇陵の治定の終了後、安徳天皇陵は多くの伝承地の中からこの安徳天皇社の境内が明治22年(1889年)7月25日、「擬陵」として公式に治定された。天皇社は明治8年(1875年)10月7日、赤間宮に改称し、官幣中社に列格した。昭和15年(1940年)8月1日、官幣大社に昇格し赤間神宮に改称した。
第二次大戦により社殿を焼失し、昭和40年(1965年)4月に新社殿が竣工した。
昭和60年(1985年)、源平八百年を期に全国平家会が設立され、石川県輪島市にある平時忠の子孫「時国家」に御分霊が親授された。その際に邸内社が建立され「能登安徳天皇社」の称号が授与された。

以上ウィキペディアより。

赤間神宮

赤間神宮 (1)
亀岡八幡宮から道沿いに進むと到着。

赤間神宮 (2)
立派な鳥居です。

赤間神宮 (3)

赤間神宮 (4)

赤間神宮 (7)
平家物語終焉の地。海のそこにも都があるのですよ。

義経
義経

碇
碇知盛 「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」

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へーぼー

Author:へーぼー
趣味:神社巡り
建武中興十五社巡りを2017年1月に完了。
諸国一の宮巡り実施中。

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