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当寺の創立年代は不詳であるが、寺の縁起によると、昔恵心僧都諸国巡錫の際、この山に登り求聞持の法を修し、その時霊験を得て、明星を感得し明星山と号し、3体の阿弥陀如来の像を画いて奉安したと寺伝に記されている。
当寺の本尊虚空蔵はその作者は不明であり、今の寺の創立年代も不明であるが、早くより本浄坊と称し、佐陀神社社僧十二坊の一つとして、元禄時代まではその寺領を受けていたという。又境内の薬師堂はもと佐陀神社の近くにあったが、神仏習合の制が廃止されると共に、本浄坊の境内に移転された。この堂には行基菩薩の作と伝えられる薬師如来を本尊として奉安してあるので、その頃から本浄坊の号も改めて、薬師院と称するようになったのである。
以上出雲十三仏霊場ホームページより。 http://izumo-13butu.jp/temple/yakushiin.html
当山は平安時代淳和天皇の天長年間(824~835年)弘法大師空海上人によって聞かれた寺である。上人は諸国巡化の折、杵築(出雲)大社へ参龍しようとして、立ち寄られ、まさに四神相応の地(天地の神のみこころに相応の地)であるとしてしばらく逗留され、その夜より一刀三礼のもと彫り上げられたのが秘仏本尊聖観世音菩薩(2尺3寸)の座像で33年に一度の御開扉がある。
また、出雲観音第31番霊場で、庭には毛利元就公お手植の「玉椿」(樹令500年)や、四国八十八か所お砂踏み石、ひときわ高くそびえる樹高20メートルの大イチョウがあり朝夕の遙拝の目じるしにされている。
以上出雲十三仏霊場ホームページより。 http://izumo-13butu.jp/temple/manganji.html
当山は行基菩薩の創立と云われ後にお大師さまが巡錫の折り、山号、寺号を賜ったと伝えられている。山門の金剛力士も行基菩薩の作と伝えられ、現住で53世になることからも歴史がうかがえる。その昔佐太神社の奥之院として別当職も務めており、県の有形文化財「神像群」も安置されている。平安末期を下らぬ稀有のものとされている。また当山には観音堂があり、如意輪観世音菩薩を本尊とし、出雲三十三観音霊場第28番の札所として栄える。両本尊とも秘仏である。庭には樹令350年と云はれる老紅梅もあり毎年美しい花を咲かせる。
寺有山林八十四町歩を生かして椎茸栽培も行われている。毎年1月25日には文殊菩薩の縁日として、護摩祈願祭も行なわれている。
以上出雲十三仏霊場ホームページより。 http://izumo-13butu.jp/
当山は地頭平の常村の祈願所で十二坊があったという。しかし享徳二年、常村の孫中常性粗暴で、伽藍破り佛像は山下の薬師が谷に集めて焼き払ったという。その時火中にあった阿弥陀如来と馬頭観音は災をまぬがれ、それぞれ本堂と観音堂の本尊に祀られたと伝えられている。開山大拙雄和尚が明応年間であった。
石段の下に清水の湧く井戸があり、小さなお堂の中に何伽井観音が祀られている。これは古来阿伽井と呼ばれる霊泉であり、昔在所の長者の娘が大変な醜女であり、長者が観音に願をかけて祈ったところ美人にかわり、お礼に剣一口鏡二枚を井戸の底に埋めてある。(痣で悩む人の参詣もあります。)
以上仏壇の原田様ホームページより。 http://www.butsudannoharada.com/temple/2011/10/post-9.html